今田淳子 (いまだ じゅんこ)


1971年
1996年
2003年
熊本市生まれ。
熊本大学大学院教育学研究科美術教育専修(修士課程)終了。
イタリアミラノ市ブレラ美術大学彫刻科卒業。

【主な個展】
1996年「今田淳子展」上通ギャラリー(熊本)
2002年「Kaiko」スパツィオテンポラーネオ・ギャラリー(ミラノ、イタリア)
2005年「JOY」ブルーナ・ソレッティ・アルテ・コンテンポラーネア・ギャラリー(ミラノ・イタリア)
2006年「Giraffa.Colinné. Pallina rossa」スパツィオテンポラーネオ・ギャラリー(ミラノ、イタリア)
「Junko Imada」ナヴィリオ・モダン・アート(ミラノ・イタリア)
2008年「Junko Imada」MAM美術館(マントヴァ、イタリア)
野外彫刻《チルコ・デラ・パーチェ/平和のサーカス》設置
クレモネーゼ財団公園(リエーティ・イタリア)
2009年第1回香梅アートワード 奨励賞受賞
「今田淳子展」 熊本市現代美術館ギャラリーⅢ(熊本)
2011年「MOTHER2011—今田淳子展」ART SPACE 貘(福岡)
「今田淳子展」 Gallery M.A.P(福岡)
彫刻イルミネーション《沸き立ついのち》設置
上通エントランス ファザード(熊本)
「今田淳子展 いのちのかたちと空間」つなぎ美術館(熊本)
2012年「今田淳子展—working in progress」ART SPACE 貘
2015年「今田淳子展—EGO」ART SPACE 貘
2018年「Internal Flower 今田淳子」 ART SPACE 貘
「Amniotic Journey/羊水のたび」Gallery M.A.P(福岡)
2019年「IMMACULATE 今田淳子展」軽井沢現代美術館(長野)
「今田淳子展」柳川古文書館(福岡)
2020年「いのちのひかり」島田美術館(熊本)
2021年「コロナと金のさなぎ」 ART SPACE 貘(福岡)

【主なグループ展】   
2006年「No Parachute-pink」アートエンド・ギャラリー(ミラノ、イタリア)
「若手作家5˚ポストゥーミア・ビエンナーレ”CAMERAE PICTAE”」MAM美術館
「Fuori é un giorno fragile」ヴァイロ繊維工場(キエーリ・イタリア)/ステューディオ・レガーレ・ギャラリー(カゼルタ、イタリア)
2007年「ALLARMI 3」クリストフォリス兵舎(コモ、イタリア)
「20eventi」アルテ・コンテンポラーネア・イン・サビーナ(サビーナ、イタリア)
2009年「Incoerenza」ナヴィリオ・モダン・アート
2010年「香梅アートアワード」香梅アートスペース(熊本)
2011年「春の足おと―熊本市現代美術館コレクションより―」熊本市現代美術館ギャラリーⅢ
2013年「CAMKコレクションvol.4 来た、見た、クマモト!」熊本市現代美術館
2014年「GEA展」オルモ邸(コモ、イタリア)
2016-2017年「HIGO-ROCK!HIGO-ROCCCA!肥後六花プロジェクト」熊本市現代美術館
2017年「誉のくまもと展」熊本市現代美術館(熊本)
2019年「MECCANICA DELLA MERAVIGLIA」レオネージアルテ、モンティ邸(ブレーシャ・イタリア)
「きっかけは「彫刻。」展」熊本市現代美術館

絶え間ない祈り 2008年10月


深刻な不況に生きる厳しい現実の中、現在の私の作品は4歳の娘と過ごすいとおしい毎日の小さな幸せから生まれる。-大好きなママのためにせっせと積み集めてくれた小さなマーガレットの束を手に帰る家路、一緒に作る不揃いなニョッキの夕飯、毎朝決めるお下げ髪の飾り、田舎で見上げる星空…-複数の苦痛と悲しみの後に勝ち取った内面の平和の上に広がる純粋でけがれのない世界である。

2001年から手がけているポリエステルフォームに幾万個のオブジェを縫い閉じ込めてつくるインスタレーション作品。いつの日かそれは新しい生命誕生を待つ母の祈り、無限なる未知のいのちへの信念、護るべき未来につながる毎日への責任と希望を、流れる歳月と共に閉じ込める日誌となった。

新しい命の誕生は私にいわば生まれ変わりのチャンスを与え、幼少期のリ・プレイボタンを押させることになった。彼女と毎日作る色とりどりの粘土のオブジェは彼女の笑顔や時に発する歓声や泣き声のようにメロディーを奏で、記憶・深層の限りない純白のフォームに舞い溶け込む。私のスペースに浮遊する音符たちは私のとどまる場所場所で再構成され、戸外の緑の木立の中、ときには古い城の歴史の中で、平和の存続をかけるシンフォニーに、ときには晴れやかな凱旋曲になる。


2018年 夏の終わりに 柳川にて


今年(2018年)アメリカバーモント州バーリントンの外れ、ジョンソンという町のアーティストインレジデンスに参加。3月から4月にかけ滞在し制作した写真の作品群です。平均気温が氷点下15度であるジョンソンの氷雪に閉ざされた「真っ白(IMMACURATE:註1.インマキュレート)な春」の風景、透明な光と空気は、私をたちどころに在イタリア時代そして帰国後数年制作したポリエステルフォーム(人口綿)にセラミックのピースを縫い閉じた作品の次元と質感・色彩に引き戻したのです。それは私が妊娠、出産、育児の約10年の日々を綴った日誌のような作品たちです。
(その後は、古い着物やガラス、13年暮らしたイタリアの象徴としての皮革などを含めた多素材を組み合わせた立体制作に移行。2011年の震災後、「苦境を乗り越え昇華させる」をテーマに花シリーズを作ってきた。2016年は熊本で自らも被災。地震直後からプロジェクト「HIGO-ROCK ! HIGO-ROCCA !」を発動。市民から集めた古着物を使用しながら、江戸時代の熊本を彩っていた花々「肥後六花」を2ヶ月おきに1輪ずつ発表。地震後1年でシリーズを完成させた。各々2メートルを優に超える立体作品6点「震撼の花たち」を一同に2017年「誉れのくまもと展」熊本市現代美術館で発表した。)


もしかするとやっとティーンエイジャーにまで成長した我が子から少し子離れしようと挑んだ最初の一歩としてのレジデンスという意識が、出産・子の幼少期を回顧させたからかもしれません。 雪の上を這い回りカラフルなセラミックピースや彩色して切り抜いたキャンバス、様々なかたちのピースを中に凍結させた氷のオブジェ(これらはもっぱら外に放置することで気温の低さから数時間のうちに自然と作られてしまうのですが)を雪上にセットアップしながら「風景に作り込み・切り取る」写真とビデオ作品制作が直に始まりました。私のアトリエ近くにはジホンと名のついた川が流れていました。水量、色や質感の変化でもって日々刻々「大地の胎動」を私に届けてくれるその川をこの一連の作品の中心に据え「羊水のたび/AMNIOTIC JOURNEY」と名付けることにし、「氷と水の中の滞在」をアクリルプリントで発表することを制作初期に決定しました。

毎日リニューアルされる眼前の雪景色をエンドレスに広がる純白の画布に見立てたことで、終わりを知らない子どものあそびのように作品は広がりを持ち、地元の民家や庭先をはじめ、国道沿いの教会の入り口に「彩色された布地製の大きな受精卵」をセッティング、ある日は停車中の除雪車両のショベルの雪の上に「TREASURE HUNT/宝さがし」の文字の小ピースをはめ込み撮影。地域の小さなムーブメントとなったこと、そして滞在の最後にはレジデンス参加の他の多国籍アーティストたちを巻きこみ動画を撮影できたことで、ちょっぴりいたずら、皮肉要素のある「FUNNY」な作品作りと作品の別の開かれ方の可能性が見えた気がしました。今回作り使用、撮影した陶器やキャンバスは米国より持ち帰りました。それらを繋げ各地の風景の中でその地の人たちと展開しながらこれからも「羊水のたび/AMNIOTIC JOURNEY」を続けていきたいと思っています。
註1:インマキュレートとは、真っ白なこと、ひいては純潔であることを意味する事からキリスト教での「受胎告知」を指す言葉で筆者が繰り返し作品の中で使用している言語である。


大人の価値観と追い込まれる子どもたち


夜9時。ミラノ市では温かい間接照明の光と愛情に包まれゆったりくつろぐ家族時間。伊の経済を牽引する都市のオフィスに人はいない。一方日本では、大人同様多くの子どもたちも帰宅していない。白熱灯に晃晃と照らされた無機質な学習塾の机に向かっている。

官民挙げてワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)が叫ばれているが、現実では近年ワーカホリック(仕事中毒)は子どもにまで広がった。過剰な早期学習によりそれは今や幼児期に始まり、小・中学生に蔓延している。下校後学習塾に通うことが当たり前。睡眠時間をのぞいた子どもの生きる時間は教育を受ける時間になった。子どもから遊びが消えた。厚生労働省の発表では学習サービス業の新規求人数は今年も増加傾向。大卒、ポスドクの良き就職先として、そして未だ「より良き人生はより良き進学にあり」とする一様な価値観のための商品として、現在需要と供給の関係が見事に成立している。集中を促すためのパーテーションで区切られた小さな空間、短い休み時間に搔き込むコンビニエンスストアのお弁当、「迅速に」「正確な」答えを導く訓練といえる学習・・・無駄なく有用性に富むが、人間味を欠き空虚で喜びがない。感覚が麻痺するほど毎日耳にする残酷な死や傷害のニュースは、幼少・青年期から与えられた過密な日程に従順で、唯物的な刺激による欲求の発散に慣れ、愛情に飢え、乾きしらけ、歪な生活の中に埋没してしまった孤独な個の叫びではないだろうか。

世界価値観調査の、「日本の20代は世界一チャレンジしない」「日本の成人の知的好奇心がとても低い」という残念な統計結果は、現在の日本の教育が「学ぶ楽しみ」を奪い「心の老化」を招いていることを証明している。成人の数的思考力は日本に比べ相対的に低いイタリア。しかし「新しい事を学ぶことが好き」の肯定率は日本の倍を示した。生涯学び続ける意欲は、変化に富んだ新時代を生き抜くために必須な人間力である。余暇や芸術を楽しみ、至高性を重んじる国イタリアの人生観・教育観にこれからの個の決断や幸せな暮らしのヒントがあるかもしれない。

「生きる」を意味するイタリア語「VIVERE(ヴィーヴェレ)」。賞賛や激励を意味し日本でも耳にするViva!〜(ヴィヴァ!〜)の語源である。身体的・精神的両方の生の意味を兼ね備える。昨年4月、突然の大地震から守り抜いた肉体的生。避難所で自発的に働く子どもたちの姿には精神的生が輝き、皆に活力を与えた。Viva!子どもたち。日本語で「する」という意味の使役動詞fareでVIVEREを命令形にすると「Mi fai vivere!(ミファイヴィーヴェレ!)」。直訳すると「生きさせて!」だが、「自由にさせて!」「放っといて!」という「解放」の意味が入る。この世に生まれてきた個の「VIVERE(生きる)」の意味を問い、その愛に気付くこと。時には画一的な価値観にしがみつく手をゆるめ、時間を切り刻み詰め込むスケジュールを一掃し、思い切り自らを休息、遊びのなかに解き放とう。個人の心の活性化と思考の小さな変化が生きやすい寛容な社会通念に繋がるように思う。


97年プットーのスケッチより
97年プットーのスケッチより



ポートレート:原田辰之(上通写真館)提供
ポートレート:
原田辰之(上通写真館)提供

現代美術的、人生の挑み方・楽しみ方


KIEP研究大会において私が講演をさせていただく大義はなんだろうか。やはり私の体験に基づくお話をすることだろう。また、「国際教育を考える」とはどういうことなのか。相互・自己理解、自国理解の為の教育と理解して進めることにする。国際の英訳にふくまれるINTER〜は、internet, interstate, interactive, interdicipline など、毎日良く耳にする。「〜間」の意味で、国家間、研究内容間を「跨(また)ぐ」 あるいは「繋ぐ」意味であろう。国家間・民族間の経済競争が激化し、ナショナリズムの主張の張り合いの中、個々の生命は枠や垣根、国境を越え複雑な結びつきをする、生き方選択の自由時代である。ルーチョ・フォンターナという20世紀のイタリアの美術家を紹介しよう。彼は1947年、ミラノでスパツィアリズモ(空間主義)を宣言。単色に塗られたキャンバスを切り裂いた作品を展覧した。画布の表面を瞬時に裂き、穴をあける(TAGLIO(ターィオ)=切りこみ)ジェスチャーにより、古い絵画表面との決別を表明、新時代を切り開いたのである。現代アート。それは日常に転がる事象を別の視点からライトアップし、新しいモノの考え方または私たちの生き方・在り方を世の中に常時様々な方法を駆使し、発信し続ける。


カステルバッソ(テーラモ市)にて 作品『BIO』展示中のわたし(2003年)
カステルバッソ(テーラモ市)にて
作品『BIO』展示中のわたし
(2003年)

1997年、私は単身イタリアミラノ市に渡り、それから13年間ヨーロッパで過ごした。世界地図上で遥か東、極東アジアの小国からはるばるやってきた私は、ローマカソリックの偉大な歴史の国で白紙からの再出発をした。「si o no(イエス オア ノー)」と尋ねられ「どちらでも構いません」と思う自分。自分を出さないことが美徳ともされる国で生まれ育った自分の意見の鈍さを知り、そこにTAGLIO(切りこみ、あるいは止めること)をいれることから始めた。美術学校では初日の少人数でのミーティングで、「表面の表現を盗みにくる日本人は、とても器用だが、自分の内面から構築する思考と着眼の主張に至らない。イタリア人は誰かのコピーをしない。自分の頂点を追い求めるのみだ。」というクリアな教示・厳しい言葉の洗礼を受けた。貧しさのなかに自分の流れとヴォリュームを追求したアメデオ・モディリアーニも、 緊張高い騎馬の彫刻で世界に知られる私の母校ブレラ美術学校の教授でもあったマリノ・マリーニも、そしてイタリアの父親がわりであった柔らかさを思わせる板ガラスと金属を組み合わせた彫刻で独自の世界観を開花させたジャンカルロ・マルケーゼも、共通して「無邪気な一途さからくる強さ」を持っていた。私は子どもの頃の様に、ただ一途に、無心に、好きなかたち・色・光・動き・言葉・素材・音を探す「遊び」に集中し、楽しんだ。歳月をかけ、各地の専属のギャラリー、美術館での発表をするに至る までに自分を広げることが出来た。


日本では「遊び」は「仕事」の反対語として認識され、不真面目であることの様に思われている。近年、子どもには「思いつくままの遊びの時間」がほぼ無い。あれこれ厳しく規制・統制され、学びに繋がるだろうと大人の考えた「紛いものの遊び」か、お勉強に固められている。遊びとは生半可なものを指さず、時には危険も伴う探求と観察であり、熱狂を意味し、全ての人間活動の礎、人間力となると私は思っている。長きにわたりイタリアでは作品制作や発表だけではなく、そこに暮らし、生を楽しみ、時には災難にも遭い、子を宿し、出産し、子育てをした。とりわけ子育てにおいては日本とイタリアの大きな違いを毎日目にした。娘が1歳から通い始めた保育園では、大人は中断を言い渡すことなく、子どもが選んだひとつの遊びをもう終わりと自分で止めるまで、つまりフロー(溢れる・飽和状態)まで見守る。保育士がお話をし、それを絵にしてきたこどもたちにもう一度お話しさせる。保育士が書き留め、絵を持って帰った子どもと親がそれを通じてまたコミュニケーションする。


作品『Colinne`s dream/小鈴の夢』
作品『Colinne`s dream/小鈴の夢』

至ってシンプルであるが、ひとつひとつの「大人の行為のもつ意味と子どもへの影響」を深く理解し、過ごす一日をオーガナイズする大人の想像力と愛情体験が要る。こうして幼少期からイタリア人の粘り強い探究心と集中力、ディベート力、楽しい会話に満ちた生活と愛は育つのだと思う。


子どもと作った色粘土を綿に縫い閉じた作品。
子どもと作った色粘土を綿に縫い閉じた作品。

娘が6歳の2010年に日本に帰国した。わたしの日本不在の13年間は、母国の変化のめざましい発達と大きな問題点を浮き彫りに見せた。他の国にない心遣いの溢れるサービスと高レベルの公衆衛生管理の下での便利で清潔な暮らし。そして一見、衣食住の困窮もなくなったかの様だ。しかしながら、その「快適至上」は人間生活を人工化し、均質化もした。大人も子どもも自然から離れ、自然の中に生きていることを忘却した。狭い時間の枠に詰め込まれ、早急に結論を求められ、遊びは物質的な気晴らしと刺激的なものへ偏った。


彫刻遊具プロジェクトのワークショップ加中の娘(2歳半)
彫刻遊具プロジェクトのワークショップ
加中の娘(2歳半)

生きがいや本物を見つけることがむずかしく、「心の貧しさ」が際立った。陰湿ないじめや若者の死へのベクトル。機械ではない生身の人間である私たちの枯渇した愛・こころへの呻(うめ)きが聞こえる。


Erba beata ー ひかりの褥(第六花:肥後芍薬部分)
Erba beata ー ひかりの褥
(第六花:肥後芍薬部分)
大きな白い花の中心の花芯には復活を
象徴する3羽の雛鳥が生まれている

そんな中起こったのが、2016年4月の熊本地震である。自然がもたらしたTAGLIO(切りこみ、あるいは止めること)は壮絶で、死者を出し、沢山の人が家を失った。同時にライフラインの断絶のなかで自然の脅威にひれ伏し生きる体験は、私たち全てに自然の中に暮らす実感を与え、漠然と繰り返されていた日々の時間への問いをもたらしたと思う。避難所生活の中で、自発的に生活物資の配布や炊き出しをし、不都合を訴える老人たちを気遣い語りかけ案内をする小中高校生の活動は、本物の学びであったに違いない。

有限のいのち、人生は一度きりであることを悟ることは、私たちにルネッサンス(再び生まれること)を決意させる。本震の後、恐る恐る玄関をあけると今までに見たこともない数の花たちが太陽の下眩しく鮮やかに狂い咲いていた。強い揺れにショックを受けたいのちたちが、懸命に自身の、そして種の存続を懸けて大きく開いた姿だった。既に同年1月HIGO-ROCK! HIGO-ROCCA!と称し、熊本市民の思い出の沁み込んだ古い着物を使い肥後六花を制作する「肥後六花プロジェクト」を発動させ、着物を市民に募っていた。肥後六花とは、かつて侍が熊本の地で愛と執念の歳月と品種改良の末作り上げた、金銭での売買が及ばぬ精神の美の結集であった。物欲と金銭欲、名誉欲の溢れる現世でこの花たちを知り、そのハイブリッドかつ純粋なかたちを学ぶことは意義深かった。作品制作は奇しくも4月地震の直後から始まることになった。日本文化の象徴きものとイタリアの革、毛皮、ガラス、プラスチック、金属鋲、畳、陶器などの多素材をブリコラージュする素材と素材を繋ぐ仲介者、この地の物語の語り手、つまりInterpreter(通訳、表現者の意)の使命として、「震撼の花たち」を制作した。二ヶ月おきに一輪、六花でちょうど一年が巡った。全身全霊でくまもとの花を咲かせるという行為をライトアップし傷ついた土地でいのちの存在を主張、確認した。


「誉のくまもと展」熊本市現代美術館展示より 今田淳子『震撼の花たち』
「誉のくまもと展」熊本市現代美術館展示より 今田淳子『震撼の花たち』

体験は時に私たちの行為に篩(ふるい)にかけ、この授かった生の中で何が一番大切なのかを見せてくれる。私たちにとって、自らのいのち、そして愛を護り育てること、それ以上に大切なことはない。これからの若手の人口減少つまりは国内の頭脳不足とAI(人工知脳)時代の到来は、この国の将来をどう変化さ せるのだろうか。官民挙げての盲目ともいえる子供の学習競争・体力競争は、本当に必要なことなのかという疑問は、疑問のまま放置してはいけない。共有し、それぞれが考え、語らなくてはならない。TAGLIO(切りこみ、あるいは止めること)をいれるのは私たち次第である。Meglio tardi che mai.(遅くともやらないより遥かに素晴らしい)Piano piano, ci arriviamo.(ゆっくりゆっくり、到達するよ)よくイタリアで耳にするフレーズだ。


La Partenza‒永遠の愛(第四花:肥後山茶花、部分)
La Partenza ‒ 永遠の愛
(第四花:肥後山茶花、部分)

異国に長く留まり、その文化が心身に浸潤するこ とは「比較」と「選択」を可能にする。それぞれの好きなところ・嫌いなところ、良いところ・悪いところを知ることによって、INTER〜時代の「国際ハイブリッド」な生き方・考え方は可能である。温故知新の精神で事象を見極め、時に自身の思考にTAGLIO(切りこみ、あるいは止めること)とSCOSSA(揺れ)を入れ、転換の、そしてルネッサンス(Rinascimento=再び生まれること)のチャンスを作りながら、人生を謳歌し(VIVERE)、皮膚(PELLE)感覚や動物的勘を大切に、柔軟性(ELASTICITA`)を持って流転を楽しみたい。